長崎キリシタン観光地にある当時の檻

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今年も残すところ、あと数日となりました。

今年、書こうと思っていた記事で、まだ書いていない記事がいくつかあるのですが、そのうちの一つ。

2015年8月16日に書いた記事で、鳩山元首相が2015年8月12日(水)日本統治時代の思想犯をしのぶモニュメントに「土下座」したとの誤解が広がり波紋を呼んだという話題で。

西大門刑務所を訪れた際に、鳩山元首相が「・・・柳寛順さんをはじめ、多くの皆様方をここに収容して、拷問という大変ひどい刑をあたえ多くの命まで奪ってしまったという事実を、この場で思い出して心から申し訳ない、おわびの気持ちをまず捧げてまいりたいと思います。」と話したことがありました。

そこで初めて、16歳で亡くなったと言われる「柳寛順(りゅうかんじゅん / ユグァンスン)(1904―1920)さん」のことを知ったのですが、「拷問により病死」と書かれていたことが気になりました。

15歳のときソウルの三・一独立運動に参加した学生リーダーの一人とのことですが、16歳の少女がなぜ、どうやって亡くなったのか?疑問が残りました。


ソウルの柳寛順(りゅうかんじゅん / ユグァンスン)さんの死


西大門刑務所の近くには、教会や神学校があって、その神学校を卒業した韓国人宣教師にお話を伺ってみました。

当時、柳寛順さんが亡くなったと言われる刑は、狭い檻に立ったままの状態で収容されるというものだったらしいです。


私たちが新婚旅行で長崎へ行った時、「日本26聖人殉教地」にある記念館に、当時のキリシタンが収容されていた檻を見つけました。

体育座りをしてやっと入れるくらいの小さな檻です。

身動きもとれず、30分も入っていたら嫌になってしまいそうです。

私たちの新婚旅行での写真です。(夫撮影)

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当時はネガフィルムのカメラで、今のようにデジカメやスマホで枚数を気にせず撮れるようなものを持っていなかったため、写真も少ないですが…。

(新婚旅行の写真を載せると、教会員が「先生、若ーい!」と必ずツッコミを入れてきます^^;)


どうも韓国の柳寛順さんが亡くなったのは、この檻の「立ってるバージョンだったらしい」と分かりました。


「沈黙」の舞台となった長崎のキリシタン


キリシタンの迫害と殉教の歴史は、1873年(明治6年)明治初期まで続き、全国各地にキリシタンたちが送られていきました。

明治初期というと、「八重の桜」の新島襄や新島八重などの時代です。

そう考えると、つい最近まで禁制があったのだな、と驚きます。私の母方の祖母は、明治生まれです。


キリシタンの歴史は、東北や金沢など、全国各地にその痕跡を見ることができます。


金沢市・卯辰山にある「殉教者の碑」に書かれている聖書の言葉

「義のために迫害されているものは幸いである」マタイ5:10


「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」口語訳聖書マタイ5:10




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