「ねたむ神」

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一人の人について、「Aさんは、優しくてスポーツマンで、面倒見の良い人。」など、複数の特徴を言われることがあります。

聖書の「神(創造主)」についても、「愛なる神」「義なる神」など、いろいろなご性質を表す言葉があります。

その中で、私が時々、思い起こすことは「ねたむ神」であるということです。

「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト記20:5~6)



「他の人に言われてもどうしようもない罪」

聖書の中で「ねたみ」は罪であると教えられており、私たちの周りでも「ねたむ人」にはあまり良いイメージはありません。

「ねたみ」は悪い心であり、人が持っているものを欲しがったり、「ねたみ」の思いに捕らわれると、時には殺意を抱くほどの恨みや嫌悪感に発展しかねないものです。

「他の人に言われてもどうしようもない罪」が2つあって、一つは「高慢」、もう一つは「ねたみ」であると聞きました。

確かに、その思いに捕らわれると他の人の助言などは耳に入らず、突っ走ってしまいがちです。

ダビデをねたんだ「サウル王」や、イエスを十字架につけた指導者たちなどが聖書の中にも出てきます。



「妬(ねた)み」と「嫉(そね)み」


「嫉妬」という言葉を使う場合もあります。

「他人の幸せや優れている点を羨ましく思う」という意味があります。

「妬み」と「嫉み」には羨ましさの矛先に違いがあるようです。

うらやましくて相手が憎いという感情の「 ねたみ」は相手に対して、「嫉(そね)み」は自分に対するもののようなので、相手がうらやましいばかりに「どうせ私なんか…」というような感情のことなのかな、と思います。


「ねたむ神」

「ねたみ」には別な意味があり、夫婦関係、親子関係など大切な関係において考えるとよくわかります。

特に男女間の感情についての「やきもち」「嫉妬」(ジェラシー=英語で嫉妬の意味)などです。

出エジプト記20章は有名な「十戒」が書かれている個所ですが、その第一戒として「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記20:3)と書かれている個所にも「ねたむ神」が表されています。

大切な人に対して、不倫や誘惑を許さないのが当然の感情であるように、神もまた私たちについて、「ねたむほどに愛し」、ご自分のものとして守ろうとされます。

「万軍の主はこう仰せられる。『わたしは、シオンをねたむほど激しく愛し、ひどい憤りでこれをねたむ』」(ゼカリヤ書8:2)

「それとも、『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる』という聖書のことばが、無意味だと思うのですか」(ヤコブの手紙4:5)

「私は神のねたみをもって、あなたがたのためにねたんでいるからです。」(第二コリント11:2)
(*新改訳聖書では、「私は神の熱心をもって熱心にあなたがたのことを思っているからです」と訳されている箇所です。)

神が私たちを「ねたむほどに愛しておられる」とすれば、私たちはどのようにその愛に応えていけばよいでしょうか・・・。



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