放蕩息子のたとえの話 解釈は?兄や弟、父は誰を表しているのか?



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先日はルカの福音書から「放蕩息子のたとえ」について紹介しました。

このたとえの放蕩息子の弟や兄、父とは誰の事を表しているのでしょうか?


放蕩息子(弟)は…イエスのもとに集まってきて、イエスが一緒に食事をした取税人や罪人と呼ばれる人々を表しています。

兄は…このたとえ話の発端となった、イエスのもとに集まってきたパリ祭人や律法学者たちを表しています。

父は…天の父である神様を表しています。


イエス・キリストはこのたとえを通して何を言われたのでしょうか?

・神は、罪や過ちを犯した人でも、帰ってくる者を喜んで迎えてくださるお方であること

・自分は正しいと自負しながら他人を見下げながら生きている人がいるなら、実は、その人も天の父なる神様の心からは遠く離れていること

・神は、その両者の罪人を憐れみ、愛して下さっている方であることを教えています。


私たちは、このたとえの兄でも弟でもありうる

私たちはそれぞれ、自分の傾向から判断して「自分は弟のようだ。」と感じたり「兄タイプだ。」と感じることがあると思いますが、私は完全に「自分は弟タイプ」だと思っています。

でも、信仰を持ってはいても「神のみ心から離れている」状態で立ち返っていないなら、「弟のようだ」と言えるし、信仰を持ってはいても、同じ神のもとに帰ってきた他の人々の事を喜べない心があるなら「兄のようだ」とも言えます。

私たちが弟息子のように、いつでも「神のもとへ帰ろう」と言うことができ、父なる神のもとに帰ることができるようにしてくださったのは、このたとえを話してくださったイエス様のおかげであり、イエス様の十字架の贖いのおかげなのです。



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