三浦綾子原作・映画「母」あらすじ~小林多喜二の母の物語~

子どもの春休みに入り、「どっか連れってって!」と言われたり、ちょこちょこ連れ出したりして過ごしています。

三浦綾子さん原作の映画「母」について、話題になっているのを目にしたこともありましたが、「どんなストーリーなのかな?」と思ってみてみました。

ちょうど今年の「信教の自由を守る日」でもお話を聞いたのですが、日本の戦時中前後に「冬の時代」と呼ばれる時代があって、小説家などが「危険思想」とみなされて逮捕、拷問などにあっていました。

「小林多喜二」もその一人だったようです。

「蟹工船」って、学校で習ったような気はしますが、小林多喜二の作品です。

映画「母」のあらすじを読むと、三浦綾子さんが小説の題材として取り上げた意図が伝わってくるように思いました。

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映画「母」小林多喜二の母の物語あらすじ

映画「母」公式ホームページより

秋田県釈迦内村、小作農と小さなそば屋で生計を立てる貧しい家の娘にセキは生まれた。
 当時の小作人は、地主に50%もの地代を払わねばならなかった。貧しい農家の娘たちは身売りするより仕方がない。セキの幼なじみの少女も売られていった。
 学校へ行きたくても、学校は男の行くところだと親からは相手にされない。
 15歳で小林の家に嫁いだセキは三男三女を生み育てたが、長男は病死。次男が多喜二である。セキは優しい母親であった。
自分は字も書けなかったが、多喜二は叔父の世話で小樽高商(現小樽商科大学)まで卒業させてもらい、銀行に勤める。
 当時の銀行は大変な高給で、一生涯楽に暮らせる程であった。しかし多喜二は貧しい人の味方となって小説を書き、武器を作るお金で皆に白い米のご飯を!と反戦を訴え続けた。
そんな彼の小説は危険思想とみなされ、遂に多喜二は国家権力によって殺されてしまう。
セキは自分の息子が悪い事なぞするわけがないと多喜二を信じ続けていた。
そんな折、娘のチマに教会へと誘われる。そこでイエスの死について話を聞かされたセキは、何も悪い事をしていないのに殺されたイエスと多喜二の姿を重ね合わせ、 思いを巡らす・・・。





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この記事へのコメント

  • 堀田征児

    連投で失礼します。
    私の父方の遠戚に直木賞作家の立野信之という元プロレタリア文学(共産主義)の小説家がおりました。
    立野が小林多喜二の文才を認め東京に呼びました。
    1930年、治安維持法違反で二人は検挙、翌年獄中で立野は転向を表明しました。生理的、心理的苦痛に耐えきれず、転んだわけです。
    一方で、小林多喜二は最後まで自分の信念を曲げず拒み獄中で死にました。
    弱者と強者。
    ウチの遠戚はフェレイラのように転び、共産主義を否定し生き付けました。
    無論、共産主義は無神論ですが、それでも『裏切る』という人生の十字架を背負い生き続けました。
    身内だからというのではなく、私も隠れ切支丹や立野と同様に転んでいたでしょう。
    2017年06月21日 01:03
  • 牧師の妻

    >堀田征児さん
    コメントをありがとうございます。
    弱者と強者という形で二分するのもどうかな、と思いますが、もし二分するとしたら、圧倒的に弱者が多いはずです。そのような苦痛に耐えられる「強者」は稀です。だから後世まで語り継がれ、話題になるのだと私は思います。
    人間として、そのような状況に追い込まれた時、転ぶことはごく自然なことだと思うんです。生理的、心理的に、嫌なものは嫌だと避けてしまうはずです。
    でももし、それでも信念を曲げないとすれば、それは人間の自然な力を越えた何かが働かなければなしえないことだと思います。
    簡単に「信仰が強いか、弱いか」という二分ではなく、弱い女性や子供の中でも、臆病で怖がりな人の中でも最終的に信念を貫いた人もいます。
    人間はみな弱いので、特別に転んだ人が悪者でもないと思いますし、卑下することもないと思います。私も「絶対に裏切らない」とは言い切れないです。ただ殉教していった人たちは「神を裏切るようなことはしたくない。」という一心であったのだろうと想像します。「その時には私にも力を与えて下さい。」と祈るばかりです。
    2017年06月24日 23:49

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