ドイツ牧師ニーメラーの言葉「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」


先週、夫と共に田中伸尚氏(元新聞記者~現在フリージャーナリスト)の講演会に参加してきました。

いろいろお話させていただく機会も与えられました。

「クリスチャンですか?」とおたずねしたら、「クリスチャンではない。」とのお答えでしたが、
クリスチャンでも知らないような人物や歴史について詳しい方でした。

ある一点について、特に社会的なことに強い関心を持ち、突き動かされるような情熱を持って取り組んでいらっしゃることが伝わってくる講演会でした。

特に「○年○月○日」という年号や日付までほとんど原稿を見ないでお話されている様子に感心し、田中氏に与えられている特別な使命感を感じるような講演内容でした。


写真 12-11-12 12 51 51.jpg


その中で紹介されたドイツの牧師の言葉を紹介します。

ナチスが徐々に手を広げていったとき、知らないうちに、気付かないうちに教会にまで攻撃の手が向けられていったが、「気づいたときには、もう遅かった。」という有名な言葉です。


ドイツ牧師ニーメラーの言葉

「ナチスが最初共産主義者を攻撃した時、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられた時、私は声を上げなかった。私は社会民主主義ではなかったから。
彼らが労働組合員らを攻撃した時、私は声を上げなかった。私は労働組合員ではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃した時、私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった。」

(☞水曜日の学び会でも取り上げられましたが、「明日は我が身」という教訓として教えられました。)


ニーメラーの言葉は、政治への無関心層へ向けた呼びかけとして世界各国で広く引用されてきた文章ですが、他にもいろいろな訳があるようです。

「ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。
けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。
それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然として社会主義者ではなかった。そこでやはり何もしなかった。
それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかった。
さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。
そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。」
— 丸山眞男訳、「現代における人間と政治」(1961年)



1日1クリックの応援感謝します!



にほんブログ村

 









スポンサーリンク


この記事へのコメント

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/447132835

※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック