デズモンド・ドスの信仰「神を信じて何になるのか?」


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神を信じて何になるのか?

ハクソ―リッジの映画を見て、いろんなメッセージが込められている映画だと感じましたが、映画の中に流れているテーマの一つに「神を信じて何になるのか?」というものがあるように思います。

主人公デズモンド・ドスは、セブンスデー・アドベンチストの忠実なクリスチャンでしたが、アメリカ軍の中にもクリスチャンはいて、「俺だってクリスチャンだ。しかし今は戦争だ。信仰が何になる?」というようなことをドスに語る場面がありました。

確かにいろんな場面で「この状況で信仰が何になる?」「祈って何になる?」と思われるようなことって、あると思うんです。

映画の中で、ドスは何度もそのような疑問を投げかけられたり、信仰についてバカにされるようなことがありました。

ドスにとって毎日が試練の連続でしたが、彼は信仰を捨てたり、祈ること、礼拝することをやめませんでした。

最終的に銃弾の嵐から命が守られ、超人的な働きをして仲間にも認められ、最後には大統領からの勲章を受けるというハッピーエンドで良かったのですが、ドスのように不思議なことが起こり、奇跡的なことが起こるというようにうまくいくことばかりではないかもしれません。

けれど、「神が介入できない領域、神の存在が全く関係ない領域がある」のでしょうか?


福音の力を知ってほしい

昨日の水曜日は教会の集会があり、韓国から来た青年3人を交えてローマ人への手紙から学びました。

ローマ人への手紙は、使徒パウロからローマのクリスチャンへ宛てられた手紙で、「ローマのクリスチャン」というのは信仰を持ってはいたけれども、神の力を実生活の中で体験していなかったため、「ただ信じている」「そこそこ信じている」状態であったようです。

そのローマのクリスチャンに充てて、パウロは「神の力を知ってほしい」と書きました。

未信者の人たちにではありません。

クリスチャンたちに充てて書かれたのです。

「福音の力」の「力」という言葉には「ダイナマイト」の語源となった「デュナミス」という言葉が使われているそうで、ものすごい爆発的な力を意味しています。

映画の中にも戦闘シーンが多く出てきて、ダイナマイトで人が吹っ飛ぶシーンも出てきましたが、福音の力ってそういう威力とインパクトのあるものなんだとパウロは語っています。

その力を知ってほしいと。

ハクソ―リッジの映画は、「神を信じて何になるのか?」と考える人たちへ、主人公ドスがどのように守られ、
信仰ゆえに何をなしえたかを証している映画です。

日本人クリスチャンはどうでしょうか?

「私は神を信じている。しかし、こんな緊急事態では、信仰や祈りが何になろうか?」と考えるなら、私たちの信仰は力のないものになってしまいます。

私たちは時々、こう考えることはないでしょうか?

「私は神を信じている。信仰を持っている。しかし神の力が及ばない領域がある。」

「平常時は神を信じている。しかし、非常時や緊急事態に神を信じて祈ったって、それが何になるだろう…?」と…。

ドスは、あのような過酷な状況の中で自分が75人もの命を救うようになろうとは、大統領から勲章を受けるようになろうとは、全く予想だにしなかったはずです。

ドスの信仰はこうです。

奇跡が起ころうが起こるまいが、不思議なことが起ころうが起こるまいが、一貫して神を信頼し、従う。

全ての領域に、神はおられる。

戦地にも、神を信じていない人たちの間や社会の中にも…。

あとは神がなしてくださること、その支配と力の中に静かに自分を置いていた、それだけだったように思うのです。

私たちは戦争にならないように、戦争が起こらないようにと願います。

しかし、もし戦争になったり非常時や緊急事態になったとしても、そこに神はおられ、神の力は働いているのだということを覚えたいと思います。




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