「弟子となし給え」新聖歌404番


いつか「キリシタン殉教」についてテーマに書きたいと願っていましたが、映画「沈黙サイレンス」の公開により、その内容について考えることが多くなっています。

映画「沈黙」の話題が続いていますが、今日は、映画を観終わった後に心に浮かんだ讃美歌「弟子となしたまえ」を紹介します。


「弟子となし給え」新聖歌404番、聖歌433番




1・弟子となしたまえ 
2・愛を増したまえ
3・きよくなしたまえ

この動画では3番までが歌われていますが、この曲は5番まであって

4・*ユダにはなるまじ
5・主をば倣いたし

という歌詞があります。

*イエスの12弟子の一人「ユダ」についてはご存知の方も多いと思いますが、イエスを裏切って銀貨30枚を受け取り、自責の念に駆られて自死したと書かれています。


5番まであるので、4番と5番はカットされやすい部分です。

新聖歌では4番の「ユダにはなるまじ」という歌詞がカットされています。



黒人霊歌と祈り

この曲は、作詞、作曲者については知られていませんが、白人に虐げられてきた黒人クリスチャンが、苦しみの中でもただ「主の弟子としてください」と願い、祈った祈りが「黒人霊歌」として歌われたものです。

英語のタイトルは「Load, I want to be a Christian」。

直訳だと「主よ、私はクリスチャンになりたいのです」ですが、「主よ、私は本物のクリスチャンになりたいのです」というような意味なのだと思います。



ユダとペテロ

12弟子だったユダとペテロは途中まで全く同じ道をたどりましたが、最後は別々の道を歩みました。

「沈黙」の中に出てくる「キチジロー」は、イエスの弟子の「ユダ」とも「ペテロ」とも通じる面があります。

・2人ともイエスの弟子だった
・2人ともイエスを裏切った
・2人とも後悔し、苦い思いを味わった


2人は同じ弱さを持つ人間でしたが、最後が大きく違いました。


・ユダは自分自身で責任を取ろうとして自死する
・ペテロは悔い改めの涙を流し、イエスに立ち返り、最期は逆さ十字架にかかって殉教したと言われている。


ペテロがわざわざ逆さの十字架にかかったのは、「主と同じ姿ではもったいない。逆さにしてください。」と自ら願い出たという話です。


ペテロはイエスを裏切り、3度「そんな人は知らない」という前には、自信たっぷりに言っていた言葉がありました。

「たとい、全部のものがつまずいても、私は決してつまずきません。」マタイ26:33
「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」マタイ26:35


自分の弱さを思い知らされ、イエスに「合わせる顔がない」状況となったペテロでしたが、それでもイエスから離れず、最期まで「弟子でありたい」と切望し、従って行ったところに私は惹かれます。

人間的な弱さはあったけれども、それで良しとせず、そこにとどまることをせず、たとえつまずいても悔い改めて立ち返るなら、自分の力を超えてイエスに最後まで従う力が与えられ、ペテロのように強くされると信じます。


「沈黙」の背景のような時代であったら、長崎のキリシタンと同じ状況になったら?と考えると心配になってしまいます。

けれど、今は心配することをせず、もしもその時には必要な語るべき言葉やなすべきことが示されるだろうと思い、心配したり思い煩わないようにしています。

今はただ心から「私もペテロのように、弱さはあっても最後まで弟子としてついていくことができますように、弱い私にどうぞ力を与えてください。」と祈る気持ちで過ごしています。



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