「天を恨まず」東日本大震災・階上中学校の梶原裕太君の答辞全文

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2万1000人以上が犠牲となった「東日本大震災」は、今日11日(土)で発生から6年を迎えました。

岩手県、宮城県、福島県の東北3県を中心に襲った津波や東京電力福島第1原発事故で、現在も約12万3000人が全都道府県に散らばって避難しています。

被災3県の仮設住宅に約3万4000人が暮らしている状況です。

これまで、他県へ移住した福島県民の子供たちへの「いじめ」など、二次的な問題も出てきました。

復興住宅建設の遅れ、原発事故の影響などで避難生活はまだ更に長期化する見通しだとのことです。

震災が起こった年のニュースで流れた階上中学校の梶原裕太君の答辞が今でも心に残っています。

昨年(2015年)書いた記事がありますので、引用します。

ここから↓


東日本大震災から5年。ニュースなどで観ながら、「あの日から、もう5年が経過したのか。」と思いました。

5年という時間が経っても癒やされることのない被災された方々の心に残る傷、未だ手つかずの問題が多く残っていることを、ニュースやボランティアで現地に行ってきた方々は口々に伝えてくれました。




「天を恨まず」


日常生活の中で、私達の身の回りに起こる悲しみや苦しみ、誰にも分かってもらえない悔しさ、どうしようもない思いについて考えていた時、突然のように「天を恨まず」という言葉がよみがえってきました。

東日本大震災から5年経った数日後の3月22日のことでした。

5年前に見て感銘を受けた「気仙沼市立階上中学校卒業式」は、震災翌日に行われる予定でしたが、10日後の3月22日に行われました。「天を恨まず」は、卒業生代表の梶原裕太さんが語った答辞の中の言葉です。

わずか15歳前後の少年が歯を食いしばりながら最後まで立派に読み上げた答辞の言葉は、まだどう受け止めたら良いのか分からなかった大人にも、力強いメッセージとなって語りかけました。


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画像出典;YouTube


気仙沼市・階上中学校卒業式・答辞全文
卒業生代表の言葉

本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、わたくしたちの為に、卒業式を挙行していただきありがとうございます。

ちょうど、十日前の三月十二日、春を思わせる暖かな日でした。

わたくしたちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、五十七名揃って巣立つ筈でした。

前日の十一日。

一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、十数時間後の卒業式に、思いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こるとも知らずに・・・

階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていたわたくしたちでした。

しかし、自然の猛威の前には、人間の力はあまりにも無力で、わたくしたちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。

辛くて、悔しくてたまりません。

時計の針は、十四時四十六分を指したままです。

でも、時は確実に流れています。

生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。

命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。

しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの、わたくしたちの使命です。

わたくしたちは今、それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します。

どこにいても、何をしていようとも、この地で、仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に思える日々や友達が、いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごして下さい。

先生方、親身の御指導、ありがとうございました。

先生方が、いかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。

地域の皆さん、これまで様々な御支援をいただき、ありがとうございました。

これからもよろしくお願い致します。

お父さん、お母さん、家族の皆さん、これからわたくしたちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。

必ず、よき社会人になります。

わたくしは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。

最後に、本当に、本当に、ありがとうございました。

平成二十三年三月二十二日

第六十四回卒業生代表  梶原 裕太






心が腐ってしまいそうな時


被災地の子ども達、学生たちは、梶原さんをはじめ、一生分かそれ以上の壮絶な悲しみと苦しみを一度に経験されました。私は一度に家族を亡くした方や、家を失った方のように、それほどの大きな経験をしたことはありません。被災地で経験された方々にしか分からない、尋常ではない経験だったと今でも思います。

けれど、私達にも小さな日常の生活の中に、苦しいこと、辛いこと、悲しいことや悔しくてたまらないことはあるのではないでしょうか。

普段より大きなストレスを感じ、精神的にダメージを受けると、心が腐ってしまいそうになる時があります。いろんなことが、「もうどうでもいい」と思ってしまいそうになることだってあるはずです。

そんな時、人は「誰が悪いのか?」と犯人捜しを始めます。相手が「自然」だった場合は、「天を恨む」のです。「天を恨んで当たり前」と思える状況が、私達の周りには多々あるように思います。




聖書の「ヨブ記」


旧約聖書に「ヨブ記」という書物があります。「ヨブ」は何も悪いことをしていないのに次々と悪いことが起こります。愛する家族や財産を失い、ひどい病気になり、友人たちからいわれのないことを責め立てられ、傷つけられます。

そんな「ヨブ」の様子を見て、あまりの酷さに妻は「神を呪って死になさい。」と信じられないような言葉をかけます。(ヨブの妻は世界の悪妻の中の一人と言われています。)信じられないような言葉ですが、もしそのような状況になった時、夫に同じように言ってしまうかもしれない自分がいます。

それでも「ヨブ」は神を恨まず、神への信頼を失わなかったという話です。

強く、正しく生きていこうとしても、時に心が腐ってしまうような残念すぎること、悲しすぎることが起こります。人の励ましや慰めの言葉が、何の意味も持たない時があります。

新潟で忽然と姿を消した「横田めぐみさん」のお母さん「横田早紀江さん」も、めぐみさんが行方不明になった悲しみの中、人の言葉が心に届かなかったことを語られていました。

そんな時に、友人に勧められて旧約聖書の「ヨブ記」を読み、慰めを得て聖書を読むようになったと書かれていました。

私達が教会学校で一緒に聖書のお話を聞いたり、遊んだりしていた少年が高校生になった時、自宅で自らの命を絶ち、私達は言葉を失いました。

少年のお母さんに、私達はかける言葉がありませんでしたが、そのお母さんは同じ経験をされたお友達と一緒に教会に来られ、「ヨブ記を学びたい」と言われました。

「ヨブ記」には、「善いことも悪いことも含めて、創造主から人生の全てが与えられている」ということが書かれてあり、因果応報ではなく「正しく生きている人にも、人生においては苦難がある」こと、「すべては神のご支配の中で起こっていること」が書かれています。

人の慰めではなく、そこに心の平安を見いだす方が多くいらっしゃいます。



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それでも「天を恨まず」顔を上げ



心が腐りそうになった時、私は「ヨブ記」と共に5年前の梶原さんの言葉が思い起こされ、改めて「なんて潔(いさぎよ)く、たくましく、正しい心の持ち主の言葉だろうか」と思いました。

きっとこれからも、度々思い起こしては「心が腐って終わり」という状況から、「どんなときにも腐るな!」「天に向かって顔を上げ、前に進むように!」と心に語りかけてくれることでしょう。

梶原さんの「答辞の言葉」は、私がずっと心に覚えておきたいスピーチです。





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引用元記事spotlight


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